母が娘に戻った日、僕は少し前を向いた




12月10日


おばあちゃんが亡くなりました。


94歳でした。


大往生です。



母方の祖母で、同じ大阪に住んでいたので子供の時は遊びにも行ったし泊まりに来ていた事もあったのでとても残念ですが、僕にとってはそれよりも


泣いている母を見るのが辛かった


祖母の葬式で泣いている母は、


僕たちの母としてではなく、1人の娘として想い出を噛み締めている様子でした。


その時僕は、


いつか自分にも訪れる大事な人との別れが頭に浮かんできて、


決して後悔の涙は流すまいと改めて心を奮い立たせていました。


同時に、


涙を流せる相手が、僕には一体何人いるのだろうかと自問もしました。


そんな問いを自分にしていると


全く思わぬことの、答えに気づいたような気がした。


〜別れが怖いから深入りしない〜


僕は基本、人とぶつかる事を避ける


ぶつかってそれを乗り越えてしまうと


その人との別れが辛いものになると心のどこかで思ってるからだ


でもそれこそが


2人の歩んだゴールであり


それから逃げている僕は


スタートラインにさえ立つのを拒み


一生ゴールには辿り着けないんじゃないか、1人でゴールはあるのか?


と少しだけ怖くなった。



僕は、父と母が亡くなってしまったら泣くだろう


色んな楽しい思い出も勿論あるし



色んな大変なこともあったから。



でもそれは、父と母が逃げずにぶつかってきてくれたおかげであって


僕は手を取って、走ってもらったいたに過ぎない。


僕はこれから


どれだけの人の手を取って走っていけるのだろうか


祖母との死別以前と以後では


少し変われたような気がする。


おばあちゃん

いつも些細な事でもすごく褒めてくれてありがとう

僕達兄弟が道をそれかけていた時も信じていてくれてありがとう

成人式の時親に内緒で東京にいる僕にお金を送ってくれてありがとう


常に何があっても僕達の存在に喜んでいてくれてる事が伝わってきていました、ありがとう。




そして最後に


僕達のおばあちゃんになってくれて


ありがとう


94年間お疲れ様でした。













コメント

人気の投稿