無関心なヒト


みなさん5月病なってませんか??

小牧健太は今日も張り切ってブログを書きます!

〜他人(ヒト)に興味が無い人〜

周りにそうゆう人いますよね?

僕も以前そう言われてた時もあるし

そうだったのかもしれない。

でも今は違う、

それは

他人に興味がない人と対峙した時

心の水面が激しく波打つからだ。

 
無関心なヒトを前にして何を思う

〈怒り〉〈哀れみ〉そして〈自責〉

他人に興味がない人とゆうのは

他人の善意や好意に鈍感になってるように思う

むしろ気付こうとゆうアンテナすら立てていないじゃないかとも感じてしまう

勿論全員とゆうわけではないけれど、

そういったことを当たり前の様に受け取り、

感謝するわけでもなく過ごしているようで、僕はイラっとするのかもしれない。

イラっとした後に訪れるのは

〈哀れみ〉

他人の優しや好意に気づけない

そしてそれをお返ししようとも思えない人間を

《可哀想に》、と思ってしまう。。。

当たり前に感謝できない人間はなんて可哀想なんだ、と。

そんな〈怒り〉と〈哀れみ〉の後決まって

《最後に自分を責める》

他人に興味がない人達を、

〈感謝の出来ない可哀想なやつ〉と

自己中心的な価値観でまとめてしまう。

そしてそうだとしても

そんな人たちを受け入れれない

小さな自分に腹がたつ。

 
自分もそうだった

(自分はどうだったんだろう?)

他人に

「お前は他人に興味ないよな」

と言われた時

「そんなことないですよ」と言いながら

そんな事あった気もする。
 
あの時は何かにつけて反発的で

他人の好意にも、そんなこと頼んだおぼえねーし!的な

それが何故変わったのか?

大きな要因は、作り上げた生活を1度捨ててみたことだろう、
 
捨ててみる

仕事、交友関係、住む場所

全てから離れてみることで

感謝が芽生え

〈後から気づく〉とゆうことになりたくないと思えたからだ。

 

未だに、無関心な生き方が良いのか悪いのかは正直わからない。

でも今は他人に興味をもつようにしている

それが後悔しない1つの生き方だと信じているから。

もしそうなりたいなら

勇気をだして

全てを捨ててみるのも1つの手かもしれない

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