生きている実感とは何か!?
パスポートを更新します!
これに!あにです!!
僕は事あるごとに
【生きている実感】を感じたがる。。。
〜生きている実感を求めて〜
〜生きている実感がする〜
などなど、【生きている実感】とゆうものを人生の1つのテーマとしている。
先日も少しそうゆう話をする機会があった。
ただその生きている実感の正体が何なのか??
普通は、実感もなにも、生きてるんだから!って考えが当たり前。
そこで少し思考を巡らせてみることにした。
僕の場合ソレは、
死に近づいたり、死に近い人々を見ると感じれたり、
便利さを失ったり、
誰も僕を知らない世界に身を置くことで、感じれたりする。
どちらかとゆうと負のイメージに触れると感じれる事が多いかもしれない。
例えばの話、もし
近代文明を失ったとしたら、それは僕らからしたらとてつもなく不便で困る。
生きる為にあれやこれやと頭を捻らないといけない
そこに生きている実感を感じれるとゆうことは。
《便利》とゆう当たり前になってしまっている環境に《感謝》できたといえるんでは無いだろうか。
もう1つ例え話、
病などで寿命が決まってしまった人のパターンに、
絶望して余生を過ごすタイプと
生きている事を最大限に楽しもうとするタイプとにわかれるだろう。
僕は後者から、【生きている実感】を感じれる。
その正体は、
当たり前になっている《生きている幸せ》に《感謝》ができた、
とゆうことではないだろうか。
さらにもう1つ
1日を過ごしていると
自分を知ってる人や、知ってる可能性がある人ばかりで
周りに色んな支えてくれる人が当たり前のようにいることがよくわかる。
もしそれが無くなったとしたら、、、
しらずしらずでも《関わってくれている全ての人》に、心から《感謝》できるんじゃないか?
それが【生きている実感】
3つほど例にあげてみたけれど
まとめてみる。
当たり前に生きるてる事は
ただ生きているだけで
生きている奇跡を知り、感じ、喜べ、感謝できることが
しっかり生きているとゆうことで、
ようは1番当たり前になりやすい『生きている、とゆう事に感謝し続けれるかどうか?』
僕が生きている実感を求めるのは、
多分自分が生きているとゆうことに、かなり奇跡を感じていて、感謝できていて、
そしてそれを『一生感謝し続けていたい』から、生きている実感を常に求めてるのかもしれない。
そしてそれを求める事が、
人生をかけて行う、一番大事な修行だと思う。
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