里親になる苦難と母の偉大さ

ようやくダウンジャケットを封印した小牧健太!


4月20日は母〈キヨエ〉の誕生日です。

母親とゆうのはどの家庭でも偉大である。

 
我が小牧家でもそれは同じ。

改めて書くが僕ら《小牧兄弟》は、元々は《オオタキ兄弟》
 
「は?どうゆこと??」

So!!養子ってやつ。

里親と養子としての関係から始まった小牧家では、

さぞ辛いこともあったんだろうな、なんて思っていたけど、

実際に本人達に話しを聞いた時

涙が出そうになるくらい感謝した。
涙でてへんのかーい!

 

今日のブログは、別に同情や哀れんでほしいわけではなく

ただただウチの母の偉大さを知ってもらいたいのと、

里親を考えている人の目に止まることを願って書きます。


里親になるとどんな事があるのか??

自分自身のキモチなんてのは自分でなんとかするしかないし、ある程度予想はつくと思います。

何より1番キツかっただろうなと感じたのが

【周囲の目】

母から聞いた話だが、

妊娠をしていなかった母が

いきなり僕と弟2人の手を引いて歩いているのを目撃したら周りはどうゆう反応をするか?

「誰の子かしら?身内の子?」

(小牧さんトコの子らしよ?)

「えっどゆこと??」

他人とは時に冷酷なもんで、

あること無いこと囁かれたらしい。


あまりにも色々言われるので、

親父は当時買ったばかりの家を引き払い

「引っ越そうか?」と母に言ったらしい

でも母は頑なに

「大丈夫!この子達は私達の子供、私が守る!!」

と引っ越しを拒んだそう。

もしその時に戻れるなら、

握ってくれる母の手をギュッと握り返し、後ろ指さしてくる奴らに

「この人が僕のお母さんで、僕は小牧健太だ!!文句あんのか!?」と言ってやりたい。

もう1つ、

病院に行った時の事、

 

まだ手続き上、戸籍的には名前がオオタキの時

初診ならしようがないのはわかるが、

毎回毎回オオタキと呼ぶのがすごく嫌だったらしい。

小さな町の病院だ、来てる人達もほとんど顔見知り、

そうなると当然好奇の目に晒される。

看護師さんは気をきかしてくれて、

「こまきけんたくーん!」と呼んでくれたが、

先生が呼ぶ時はいつもオオタキだったそう。

「あそこの先生は意地悪!!」って母は言っていたが

だれも責めれない、、、


ただ母としては、できるだけ僕ら兄弟をそういった偏見の目の対象にされたくなかっんだと思う。


多分養子縁組をするとゆうことは


親として自分の中での葛藤もあると思うけど、

周りとの兼ね合いも凄く大変な事なんだと思う。

時代は変わり、昔よりは色んな事情も受け入れられてきているとは思う

当時はまだまだ認知度も低い事柄だったに違いない。

そんな時期を経て、

今があると思うと


本当に感謝しかない。

 

そして本当に


母は偉大である。


僕は到底及ばない、、、、

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