いつ気付くか。そしていつ理解するか。
2015年 現在〜
世の中は何不自由なく暮らせる時代。
今現在を生きる自分。
〜過去を振り返ってみると。
よくこんなんで生きてきてたなっ!!
とふと思ってみる。
小学生の時
一番リアルだったのが、
携帯はないし、お金なんて、小遣い300円だし、服なんて親や兄貴のお下がりだし。
ただ、、、時間だけはあったのかなって思う。
20代に入り、社会人になると1日の半分が仕事で終わり、
一年の中で、家族や友人や恋人よりも、長く一緒な仕事場の人たち。
小学生の時は、
学校も遊びみたいなもんだし、終わり次第暗くなるまで友達とずっと一緒にいたりして、
携帯やお金や人目なんて、気にせず汗びしょびしょになるまで遊んで、
生きて、
そりゃもう疲れたら、バタンキューの爆睡。w
無論。
10代の悩み。
20代の悩み。
30代の悩み。と年齢が重なるにつれて感じることも変わるわけで、、
あの頃出来たことが、今出来なかったり。
正直。
携帯が無くても生きてきてたわけだし、300円で楽しかったし、周りの目線や思いなんて聞かなくても生きてたし。
そりゃ、当たり前な家があり、親があり、義務教育がありと、その年代にあった生き方だから、当たり前といえばそうなっちゃうんでしょーが。
過去を振り返ってみるたび思う。
『当たり前』ってことの理解の薄さを。
便利な世の中だからこそ、闇となって隠れてしまっている、当たり前は時には、自分自身の生き方も覆すことがあるとゆうことを。
仕事をしているのが当たり前。
家族や友達や恋人がいるのが当たり前。
毎日同じことの繰り返しがあるから当たり前。
そう。現在も過去も変わらないんですね。
常にその言葉は自分を覆い尽くし見えなくする。
それが何かのタイミングで気付くこともある。
気付いた時にはもう遅い。なんてこともあったりする。
日々の日常は、闇と光の両面を持ち合わせている。
特に大事な時ってのは、闇だ。
だからこそ、人生。
だからこそ、生きているんではないでしょうか??
気付く気付かないは己次第。
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