「人に会う」とゆうことへの価値
なんか最近
アメオトコになったかもしれません
それぞれの価値観に合わせて、
そこにお金を使う
食にかける人
物欲にかける人
仕事にかける人
美にかける人
自分ではない誰かにかける人
それぞれの価値観
日々変わりゆく価値観にあわせて
使い方も変わってくる。
若い時は
(まぁゆうてもまだ若いですが、、、)
目に見えるもの
即効性のあるものに使いたくなった
それが自分自身の
所有欲を満し
快感を得れるから
ただここ数年で大分変わった
モノより経験
モノより時間
今を満たすより
これからを満ち足りたものに
自分にもだが
誰かにも
歳をとると皆こうなるのか?
正解なのかはわからないけど、
間違いなく
心が喜ぶのがわかる
別に胡散臭い意味ではなく
なんとなく!だけど
これだけネットで手軽にコミニケーションがとれる今だからこそ
むしろ取れるのを活かして、
アナログな経験が大事なんではないか。
人と会って話すとゆう行為は
お金だけでは成り立たない
その人との関係性
歴史があってこそ。
それがある前提で、
最後にほんの少し
時間とお金をかければ
今までの歴史が肯定されたような気がして、
これからの歴史に夢と希望を見出せることがある。
やはり直接会わない事には
温度がわからない
多分人間の持つ
熱に触れた時、
心が喜ぶ気がする
別にそれは熱くなくなっていい
熱い人とばっかり会ってても疲れるしw
『生きているとは温度があること』
物質的な意味としてもそうだけど
精神的にもそうだろう
触る事の出来ない心を
触る事ができるのは
温度
な気がする
でも欲しいものはイッパイで
だれかに会うとゆうことに
面倒だと感じる自分が居る事も事実
それでも
会おうかなとか
会いたいなと
ふっと思ったなら
それは心が喜ぶ
なにか温度があるのかもしれない。
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