自由や自分らしくに感じる嫌悪感と違和感
パンダの子供って可愛いのね、
基本クマ系ずきの
小牧熊太郎です!
今日はパンダは全然関係ないねんけど
「自分らしく!」や、「自由!」
ってことについて
今の時代、
この言葉を
よく聞く
よく見る
よく誰かが言ってる。
確かに
全ての事において多様化が進み、
今までの当たり前を疑って
新しい何かを生み出すのは
すごく大事な事
ただ一方で
この言葉をはき違えないようにはしたい
自分含む特に若い人
僕自身
20代前半は
尾崎豊のごとく
自由を叫び
怪しい宗教団体かのごとく
自由こそ楽園だと信じてやまなかった
《自分らしくや自由》
やりたいようにだけやってないか?
嫌だと思うことを避けて
好きだと思うことだけを
やるのが
自分らしさなのか?
確かに自分らしいかもしれない
でも
それだといずれ限界がくる。
とゆうより
自分らしさを追求していくと、
嫌だと思うこともやらないと
自分らしくはなれなくなってくる
《その自由には土台があるのか?》
わかりやすく美容師の仕事で例えると
学校を、卒業したての人が
美容室に入り
自由にやって
カリスマになれるのか!?っちゅー話
土台(基礎)がしっかりしてからの
ようやく自由に表現していいんじゃないか
土台なき自由なんて儚い
《自由とは孤独》
これは旅をしてた時に痛感したこと
知らない土地に行って
誰も自分のコトなんて知らないから
なんだって出来る
なんにも気にしなくていい
ただ
誰も自分を知らないとゆう孤独、、、
恐らく
究極の自由は究極の孤独
でもある
その覚悟がある上で
自由を叫ぶのか
まぁそれは極論として
やっぱり自由に自分らしく生きたいもんだ!
じゃあやりたいようにやる為に、
やらなければいけない事をやって
覚悟できるだけの孤独を見極め
それと表裏一体になる自由を
手にすればいい
そうゆうこと。
偉そうにスイマセン。。
自分に言ってます。。。
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