別れの本質と、人に会うエネルギー
先日、、
東京人がはるばる
来阪しました!
僕は当時勤めていたサロンを退職しました。
別れの時
涙してくれる人
寂しそうな顔をしてくれる人
頑張ってね!と神妙な面持ちで背中を押してくれる人
無関心な人
色んな表情で僕との最後の時間を過ごしてくれました。
そんな中、
この2人は違った
1人は笑ってた
(真ん中の子ね)
もう1人は不思議そうな顔をしてた
(右の子ね)
確かに、笑って見送ってくれるのが1番有難い
ただ、不思議そうな表情の真意がずっとわからんかった
[ドライなタイプ]
とかそうゆう安易な表情では無いことだけは汲み取れた
1年たち、
大阪に来る日が決まった時
あの時の表情の意味がようやくわかった気がした
おそらくだが
(皆何を泣いてんだ、会いたかったらまた会えばいいじゃん、死ぬわけじゃないんだし、職場が別になるだけでしょ?)
多分こんな感じだったんだと思う
でもホンマにそうだ
確かに物質的な距離なんかで計れば
会える確率が格段に減ってしまうことは不可避で、、、
ただどうしても、カタチや空気に流されて
表面状の別れに振り回され
目の前の「別れの本質」を見失う、、、
本当にその人が好きで
会えなくなるのが辛いなら
会いに行けばいい!!
また会いたいと本当に思うなら
会いにいけばいい!!
ただそれにはかなりのエネルギーがいると思う
時間やお金、その時の自分の精神状態なんかもあるだろう
でも今回、本当に来てくれて
納得と感謝と尊敬が
一気に訪れた
あの時の表情の意味を知り、
エネルギーを自分に使ってくれたことがスゴく嬉しく
またそれを理解し、行動に移せることに、
ただただ「スゲェな」と感心するばかり
流されやすい世の中で
流されるとゆうことの良さと悪さを理解しつつ
常に物事の本質を探り、
それに気づける人間になりたい。
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